大衆の前で、「自分は何々の宗教をやっています。」という

人はいません。何であれ宗教は、世間から嫌われています。

日本の文化庁に登記された宗教団体が十万余にも及ぶのは、

世間に隠れて、多くの人達が宗教をやっている証拠の一つ

でしょう。

人は弱い存在であり、他力に依存する傾向を持つものです。

そうした人の駆け込み寺のひとつが宗教です。真理に暗い

人たちを釣るための「様々な餌」をぶら下げたりしています。

 

宗教をやっている人の多くは、入会前より不幸になる人が多い

のも現実です。その理由は、入会によって、多くの偽りを刷り

込まれ、不幸になる呪いを掛けられるから、不幸になるのです。

会員が不幸になるように呪ったり、悪しき霊的なものを憑依

させる教団も実存しているからです。会員等が不幸になれば、

より大金を吸い取ることが出来るからです。

 

世界的に有名なキリスト教は、イエス・キリストと呼ばれた人の

教えが示されていません。イエスは書籍を残さなかったと教会も

認めているのですから。聖書とは、後世の人が書いた寄せ集めの

手記であり、多く矛盾があります。それを認めながら聖書は神の

霊感に導かれた書であり、なんの誤謬もない、などという怪奇な

思想集団が世界のキリスト教団であり、そのような聖書のウソと

矛盾を決して認めない人達が、いわゆる「クリスチャン」と呼ば

れています。信ずべき何の根拠もなく、真偽を検証することも無く、

「信じたいから信じる」という無知な感性がそうさせるのです。

 

仏教集団もまた、仏典の総てが仏陀自身が書いたものではないと

知りながら、「ざ これが仏教だ!」「これが仏陀の教えだ!」と

偉そうに嘯く人たちの集団なのです。

 

歴史ある世界的な宗教だから、それが正しいというのは、その

根拠を示すべきであり、第三者への証明が与えられなければ、

それが正しい宗教、真実の教え、真理とは言えません。

 

神を説かなかったと伝えられる仏陀曰く「人に依らず、自己を

悟れ」と教え、解脱に到達した多くの阿羅漢を生み出しました。

それは、イエスが言った「貴方は神であることを知りなさい」と

いうことと同じことを阿羅漢たちが体験したからです。

 

仏陀もイエスも、個人的な教祖崇拝を戒めました。聖書や仏典

においても。新興宗教は、ほとんど教祖崇拝です。その教理は、

人々は罪業凡夫ゆえ教祖や神仏にすがると救われると教えますが、

それは、仏陀やイエスの教えに反し、人を愚かにする洗脳です。

 

しかしながら、信仰者の心が純粋になれば、何の宗教であろうと、

例え邪教であろうと、心が純粋になった効果は、一時的に起る

でしょう。それは教団の恩恵ではなく、個人の純粋さなのです。

自分の心を純粋にするために、また自分の中に神を知るために

宗教は必要がありません。

入会すれば、洗脳されるだけです。

ではなぜ宗教は、信者を洗脳するのか。その答えは単純明快です。

会員の中に神を体現する本当の方法を教えたら、目覚めた会員は

去ってゆくので、教団は倒産します。

だから宗教は、人を目覚めさせないことの、不幸にすることの、

洗脳することの宗教ビジネスなのです。事実、教祖はみな贅沢を

しているでしょう。貴方から騙し取ったお金を使って。。。

 

有史以前から継承された瞑想は、真の自己を発見する確かな

修練方法であり、宗教やカルトではありません。